CAUTION: このホームページはもともと個人的なものですが、ここでは日記ということもあって、さらにいいたい放題をやっています。気分を害されたかたは、抗議してくだされば訂正します。 あ、あと1998年12月1日以降に出てくる会話は、ほとんど大分弁を標準語に翻訳したものです。念のため。 |
11月10日(水) 毎日新聞で『先生』と題して現在の教育現場のレポートが続き物で掲載されている。いや、しかしホントにひどいね。生徒もひどいけど、教師もひどい。 今日の記事では50歳のヴェテラン教師が学級崩壊で「登校拒否」になり、現実を忘れようとパチンコにハマった挙句、サラ金に300万円の借金を作った例が紹介されていた。これ教師のほうも相当馬鹿だと思う。 最近の学級崩壊は「教師の経験が役に立たない」のが特徴らしいのだが、そもそも「経験」ってなんだろう。大抵の職業ではもちろん経験も必要だが、新しい技術や法律によってマニュアルや対処の方法が変わってくるのは当然のことだろう。 だから、却って臨機応変の利かないヴェテラン教師のほうが、学級(及び自身の)崩壊に陥るのではないかとさえ思う。もっとも最近不景気のせいで教師の質が上がってるから、逆に心配ではあるけれれども。 今日は従姉妹が有休を取ったので、しずくはこなかった。で、パチンコにいってみた。負けた。水曜日は負けなしの曜日だったのに。母に「そろそろパチンコをやめなさいという天のお告げ」といわれた。そうかも。 『隆慶一郎読本』読了。いま、『酔書日常』で取り上げるかどうか、迷ってます。 フォリナーからのフォームにメールで英文の返事を書く。前にも書いたが、本来僕は英語が得意じゃない。別に英文科とか英語学科を卒業しているわけでもないし、仕事で英語を使っているわけでもない(でも大分弁とのバイリンガル{笑})。 なので、僅か150語ほどの返事を書くのに妹と英文和訳ソフトの助けを借りて一時間半かかる。もう英語版を閉鎖しちゃおうかと、英文の返事を書くたび思う。 今日も午前中しずく(愛称“しーたん”、一歳八ヶ月)がくる。たしか隆慶一郎さんに「女は赤子の頃から女である」という文章があったと思うが、実にその通りだと感じた。 基本的にしーたんの面倒は母が居間で看ていて僕は部屋にいるのだが、いきなりしーたんの声で「あっくーん」と呼ばれる。どうしたのかと思ったら、 1.冷蔵庫の上(母だと届かない)にある『パイの実』を取ってくれと頼まれた。 2.ビデオデッキの操作(母はできない)を頼まれた。 で、母が洗濯などの用事で居間を離れるときは僕が抱いているのだが、いきなり「ばっばー!」と叫んで母の許へ駆け出す。しかもちゃんと僕がついてきているか、振り返って後方確認しながらだ。いやはや・・・、これで顔がかわいいまんまであと15年経ったらどうなることやら。 夕方、ディスカウント酒屋にいくついでに本屋(市内で2番目に大きい)に寄る。なにげに雑誌のコーナーを見ると、『別冊歴史読本 隆慶一郎読本』なんてのがある! 書店には週一度は寄るようにしているが、やっぱり文庫本のコーナーばかり見てちゃいかんな、と思う。 もちろん迷わず購入。ついでに『浦安鉄筋家族』23巻も。帰ってお酒飲みながら読む。『浦安・・・』は21、22巻はちょっと・・・だったが、23巻は大爆笑。それにしてもなんで小鉄のかーちゃんはとーちゃんと結婚したんだろう。謎だ。 で、『隆慶一郎読本』。これが面白くて止まらない(いまは中断してます)。もちろん錚々たるメンバーが書いているのもあるけど、隆さんのファンになって以来幾星霜、周りに隆さんのはなしができるひとって全然いなかったんだよね。 だから「あ、こんな読みかたもできるんだ」、「そういう解釈もあるのか」、「俺はこう思うんだけどなあ」というのが随所に出てきて、むしろそれが楽しいし、嬉しい。これって小説に限らない感情だと思う。 従姉妹(母の姉の娘)の娘“しずく”(一歳八ヶ月)が水疱瘡(三日はしか)にかかったということで、家にやってきた。両親ともに小学校の教師なので、風邪をひいたり熱を出したりすると、いつも暇な失業者ふたり(母と僕)を抱える我が家に世話になる。 いや、それにしてもしーたん(“しずく”の愛称)はかわいい。顔もかわいいけど、ご飯を食べていて「おいしい?」と訊くと、にこっと笑って(この笑顔がまさしく“天使のよう”だ)頷くんだよ〜。もじゃー(←わからなくても気にしないように)! ・・・というわけで(どういうわけだ)、母も僕も完璧なしずくフリーク。こんだけ血の繋がりが薄い子でこんなかわいいんだと、妹の子どもが生まれたらホントに溺愛しちゃうんじゃないかと怖れを抱いた。 でも、しずくって一歳八ヶ月にもかかわらず、どんなふうに行動すればおとなが喜ぶか、ちゃんとわかってるんだよね。・・・将来すげー悪女になるんじゃないかと心配になった。 『太閤立志伝』、桶狭間から二年で城主になり、すぐ謀反して大名になった。負けはじめると有望な人材を引き抜かれて国が弱くなっていく点、現代に通じるものがあると思った。 チンチロリンがやりたくなって、『太閤立志伝』をはじめてしまう。光栄のゲームって生き抜きができないからキツい。 妹のダンナがやってきた。母は相変わらず妹のダンナに甘い。・・・っていうか、実の息子より義理の息子のほうを大事にしてるような気がする。 妹が有休を取って熊本のダンナさんのとこにいくというので、国道10号線(犬飼のバス停で妹を降ろす)を通って祖父経由大分職安。母の知人に軽トラックを貸しているので、妹のクルマ。 アストラというドイツ車なのだが、慣れていないうえにウインカーがハンドルの左側(右側はワイパー)、ATのくせにスピードメーターのところにギアが表示されないので、怖くて仕方がない。 職安の求人は変化なし。決まらない会社は全然決まっていない。不景気だから買い手市場なのはわかるが、条件が高すぎるうえに待遇がよくないのだ。なんか馬鹿らしくなってくる。僕は好きな仕事ができれば給料なんていくらでもいいんだけど。 帰り、まんが喫茶に寄りたかったのだが、慣れないクルマなのでまっすぐ帰った。さすがドイツ車というか、スタート後の加速がものすごくいい。アクセルひと踏み60km/hって感じ。 それに100kmを超えても全然スピード感がない(よい子は一般道で100km/hなんて出しちゃ駄目だよ)。本来アウトバーン用のクルマなんだろうなあ。日本で走らせるのが可哀想に思えた。 早く帰り着いたので、またパチンコにいってみた。昨日の負けを補ってひと月ぶんの煙草代が浮いた。 大変なことが発覚した。母は、僕の入っている生命保険は「入院5日以上で1日一万円保険が降りる」といっていたのだが、今日調べてみると「入院10日以上」だった。 そーゆーことはちゃんと調べてからいえよ〜(涙)。事前に「10日以上」ってわかってれば、「まだちょっと胃が痛むんです」とかゆってあと三日入院してたのにぃ(←本気)。 ともかく、帰ってくる当てのない入院費43,300円を支払う羽目になったのだが、実はここにもひみつが。病院の請求書を見てみたら、「自己負担割合:2割」となっていたのだ。僕は母の扶養家族なので、本来は3割。 とりあえず郵便局でお金を下ろし、C病院に支払いにいく。もしかしたら後で21,750円追加の請求書がくるかもしれない。・・・怖くなってパチンコで稼ごうと思ったら、返り討ちに遭った。 昨夜は23時頃寝たのだが、起きると11時。入院中ずっと睡眠不足だったし、久しぶりにアルコールを胃に入れて長時間ぐっすり寝たので気分は爽快。とても昨日退院したばかりとは思えない。 一週間ぶんの新聞をまとめて読む。入院中は本ばかり読んでいたのでTVも観なかったし新聞も読んでいない。ホークスの工藤投手が退団という記事には驚いた。 午後から入院中の日記をまとめて書く。えらい時間がかかる。結局間にランニング(念のため片道1.5kmは歩き、帰りをランニング)と夕食を挟んで、21時までかかった。 |
もともとは下の妹のクルマだったのですが、四月に妹が福岡へ転勤になってクルマが必要なくなったので、現在ブランド志向の上の妹が使っています。上の妹が乗っていたプレセア(日産)は、母が自分のローレルを昨年事故で廃車にしてしまったので、母が乗っています。 あ、ちなみにプレセアもアストラも、親がお金出してます。母は「就職決まったらあんたにもクルマ買ってあげる」といってはくれてるんですが・・・。 |
ちなみに先日、妹の妊娠が発覚しました。計算上、ぴったり結婚披露宴の夜(笑)。まだ2cmくらいらしいのですが、妹は「男の子みたいな気がする」といって「けいゆき」(妹の名前が“けいこ”、ダンナさんが“たかゆき”なので)と呼んでます。 |
えー、いつもこの日記に出てくる「ブルーハーツを全曲うたえる現役小学校校長」の娘で、僕と同い齢です。高校の頃は同じ陸上部で汗を流した仲間でもあります。
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幼児時代の僕の愛称。しずくの母の従姉妹がこう呼んでいたのを、しずくが受け継いだわけです。ちなみにしずくは普段僕のことを“にーにー”(しずく語で成人男子かつ50歳未満の総称)と呼びます。 ちなみに後で出てくる“ばっばー”は基本的に叔母(母の姉)の呼称だったのですが、最近は「成人女子かつ50歳以上の総称」になっているようです。 |
僕の現在におけるマイ フェイヴァリット オウサーです(『独断と偏見の個人的ベスト10』、“歴史・時代小説”、“著者別蔵書数”参照)。 |
中学校時代の先生(僕は人間として尊敬できる教育者を“先生”、できない奴を“教師”と呼びます)のことばで、いまだに胸に残っているものがあります。 「いまの教師はね、成績優秀なひとばかりがなるから、落ちこぼれの生徒の気持ちがわからないんだよ。だから出来の悪い連中はとにかく平穏無事に卒業させればいいと思っている。・・・成績優秀な生徒にとっては、いいことなんだろうけどね」 僕は当時教師を目指していたし、また周囲から「成績優秀な生徒」と見られていたので、このことばにすごくショックを受けました。知人で教師を目指す若者(笑)には、必ずこのことばを教えることにしています。 現在、不景気のうえに学童数の減少で、教師の門はあの当時よりさらに狭くなっています。ということは、さらに「落ちこぼれの生徒を理解できない教師」が増えてくる、ということになるのではと、危惧しています。 あ、ちなみに後日談ですが、大学に入って授業にまったく出なかったため、僕は完全に「落ちこぼれの気持ち」を理解することができました。が、その頃には教職課程を取ると単位不足で卒業できない状態になってしまっていました。 |