六日目(11月1日(月))
点滴が外れたので、朝食後にリハビリを兼ねて病院から約1km(往復2km)離れた煙草屋まで、歩いて煙草を買いにいく。アタマもふらつかないし脚も痛くならない。いい調子だ。
少し汗をかいたので、病院に戻ってシャワーを浴びることにする。入浴は午後13時から16時30分まで、月水金が男性、火木土が女性なのだが、シャワーは日曜以外10時30分から正午まで、空いていれば使用できる。
入院する直前(水曜日の夜)に風呂に入っていたのは幸いだったが、それからまる4日間風呂に入っていない。まさか点滴ぶらさげて風呂に入るわけにもいかないではないか。
おかげで昨日から自分でもからだの匂いが気になっていた(←汚ねー)。シャワーを浴びてからだを念入りに洗い、久しぶりに爽やかな気分になる。
午後、5Fラウンジと病室を往復しつつ、永井路子『山霧−毛利元就の妻−』(初)を読む。女性作家だからかいくさの描写はやや物足りない部分が多いが、逆に女性作家特有の細かな描写に唸らされる。「おかた」の性格描写は最高。でも元就はどう描いてもマキャベリスト。
よく5F喫煙コーナーで顔を合わせるおじさんに「もう退屈で退屈で、一日が48時間みたいに感じる。あんたそんなことない?」と訊かれる。「ぜんぜん」。本を読んでいると時間なんてすぐに経つ。しかも読みきれないくらいの本がある。ある意味ここは僕にとって天国だ。
遠藤周作『ぐうたら生活入門』を読む。これも読んでみると2回目だった。30年近く前に書かれたエッセイだが、物価などを除けば現代でも充分に通用するような名言が書いてある。
明日は内視鏡検査だからということで夕食はうどん(どういう意味があるのかは不明)。で、21時までに800mlの水分を摂らなければならず、21時に下剤を服んで以降は飲食禁止。明日は検査という緊張感からか、なかなか寝つけない。
ついでに書いておくと、病院というのは夜結構眠りにくい。室温は24度に固定されていて布団だと暑いし、赤の他人がすぐ傍に寝ていて気を使う(隣の部屋の鼾が聴こえるのには参った)し、ナースコールが20分に一度くらい聴こえるし、二時間に一度看護婦さんが巡回にくる。
だから夜は眠れないし朝は7時に看護婦さんが「起こしに」くる。そのため入院初日以外はずっと睡眠不足。だから逆に今日は早く眠れると思っていたのだが・ ・・。
で、結局2時まで眠れず、鷺沢萠『愛してる』(初。これだけは妹に借りたもの)を読み終える。鷺沢さんはよく「違うだろ鷺沢あんたの文体でこの表現はないだろ」という部分が出てくるのだが、実は計算ずくでやっているのかもしれないと思う。
ともかく、こんなんで大丈夫だろうか・・・。検査後意識不明になったらどうしよう。
最終日(11月2日(火))
検査のため、朝食は抜き。代わりに“ニフレック”という飲み薬(といっても粉末を水に溶かしたものらしいが)を2リットル(しかも1時間で)飲まなければならない。はっきりいってまずい。最後には吐きそうになる(嘔吐止めの薬も一緒に服用していたのだが)。
検査の順番を待つ間、五木寛之『青年は荒野をめざす』(初)を読む。小説とはいえ、ちょっとうまくいき過ぎなんじゃないかなあ、と思う。僕にはロシア人スチュワーデスを英語で口説くなんてできないし(笑)。
11時過ぎ、検査に呼ばれて1Fに降りる。血圧と体温を測る。看護婦さんに「血圧高いなあ、緊張してんの?」と訊かれて「処女ですから」と答えると大爆笑されてしまった。
さて、内視鏡検査は胃と逆に肛門からカメラを突っ込むわけだが、筋弛緩剤のせいか痛みはない。が、カメラがだんだん昇ってきて胃まで達すると、途轍もない痛みが走る。
どうやら胃の荒れた部分を重点的に見ているらしいのだが、つまりカメラが常時荒れた部分に触れているわけで、しかも上下左右に動くから痛くてしょうがない。拳を握り締め歯を食いしばる。「楽にして楽に」といわれるが、できればとっくにそうしている。
約20分ほど執拗に痛む部分を探って、やっと検査は終わった。もう脱力状態。気持ち悪いのと頭が痛いのと吐き気と全部入り混じったような気分で、車椅子で病室に運ばれる。
15分ほどで気分が落ち着いたので、昼食を摂る。その後先生から説明を受ける。やっぱり胃がちょっと荒れてるだけだそうだ。考えられるのはウイルス性か神経性の胃炎だけらしい。
まあ、とにかく退院の許可が下りたので、母に電話して迎えにきてもらうことにする。母は火曜日の午後は大分市まで県主催の健康体操教室(←不明)に通っているので、病院着は16時半頃になるとのこと。
母がきたらすぐ出れるように用意して待つ。が、17時近くになっても母は姿を現さない。どうしたのかなと思っていたら、職員のひとがきて「お母さんが携帯に電話してほしいそうです」という。
「もしもし、俺だけど」
「あのね、さっき交通事故に遭って、いまM医院にいるの。悪いけどひとりで帰ってくれない?」
電話はそれで切れた。な、なんだとぉ? 気が動転する。電話に出られるくらいだから母の命に別状はないんだろうが、M医院は脳外科が専門だ。頭を打つと、さっきまで正常だった人間がいきなり意識不明になって死亡なんて事例もあるし・・・。
とにかく受付にいって清算は後日することにし、看護婦さんに挨拶だけして病院を出る。さて、どうするか。財布には昨日母に借りた二千円しかない。これで家(約5km)までタクシーで帰れるだろうか。
そこでふっと思い出した。僕は家の鍵をもっていない。これではタクシーの料金が足りて家に帰り着いても、なかに入れない。それならC病院から約2kmのM医院まで歩き、母とコンタクトしたほうが早いのではないか。
で、リハビリを兼ねて、てくてく歩いた。30分ほどしてM医院に着く。なかに入って受付を探し、「あの、さっき事故で運ばれた・・・」と訊こうと思ったら、いきなり母(となん人かのひとびと)が立っている。
輪の中心に後頭部を押さえたおばさんがいたので、やっと母は交通事故に「遭った」のではなく、「起こした」のだと気付いた。母が怪我したのでないことは僕にとっては幸いだったが、母にとって不幸なのは間違いない。
ともかくちょうど僕が着いた頃に示談が終わったようで、間もなく僕は母と一緒にクルマに乗り込んだ。母はデパートの駐車場から出る際におばさんの自転車に突っかけてしまったらしい。
駐車場から出るときだったのでスピードは出ていなかったし、おばさんも頭は打ったが検査の結果たいした怪我ではないようだったので、安堵すると同時に怒りがこみあげる。
「こないだローレルを廃車にしたばっかりなのにまた前方不注意だったんだろホントにせっかちな上にボケ老人だなあんたはだいたい息子が退院する日にわざわざ事故ることないだろまったく」
と思いつく限り悪態をついていたら母が本当に泣きそうになったので、そこでやめた。さんざんな一日だった。
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