むかし、なにかの対談で、ある俳優(当時60歳半ばくらい)が、 「俺ぐらいの年齢になってくるとさ、友達とか、周りで死ぬ奴が増えてくるだろ。そういうのの葬式なんかにいった夜ってさ、必ず無性に女を抱きたくなるんだよ。生殖行為をすることで、“自分が生きてる”ってことを実感するんだな」 といっていたのを読んだ記憶がある。 8月24日(日)は祖母の三回忌だったので、僕は23日にゴールデンウイーク以来の帰省をした。 「ただいまあ」といって家に上がると、お茶の間で知らないおじさんが祖父と一緒にTVを観ている。顔だちが父に似ていたので、もしかして父の弟(祖父から勘当同然となっているので、ものごころついてから一度も会ったことがない)かな、と思った。 ところが、よくよく見てみると、これは父本人だった。父が癌に侵されていることは知っていた(もちろん本人には内緒だ)が、わずか三ヶ月半で息子にも一瞬見分けがつかないほど、父は痩せ衰えてしまっていたのだった。 父は祖母の三回忌のために、入院していた病院から特別に外泊許可をもらったらしい。それがつまり、すでに病院にいてもあまり意味のない状態だったのだと知ったのは、あとのことだったが。 「ねえ、お父さん顔色よくなったでしょ」 母も妹たちも口々にそういった(そのときは本気でそう思っていたらしい)が、それは彼らが大分に住んでいて、毎日のように父の顔を見ていたからだと思う。僕はそのときはじめて、「父は本当に、もう長くないのかもしれない」と感じた。 東京に戻ったのは、26日の午後だった。休みは27日までとっていたが、そうしておいて本当によかったと思った。僕はアパートに戻って荷物の整理や洗濯を済ますと、シャワーを浴びて池袋に向かった。じっとしていられなかった。痩せ衰えた父を見て、「自分が生きているということ」を証明したいと、強く思った。 『Y-倶楽部』に着いたのは、午後7時を少し廻った時刻だった。前回きた際在籍者名簿を見て、すごくかわいいと思った子がいたので、彼女が出勤していれば指名するつもりだった。受付で示された写真のなかに、彼女はいた。だが、「じゃ、この子で・・・」というと、 「三時間半待ちになります」 と、平然といわれてしまった。その日は運悪く、女の子が合計四人しか入っていなかった上に、客がよほど多かったらしい。 「いちばん早いのがこの子で、一時間待ちですね」 と差し出された写真は、いきなりMちゃん(前回参照)のものだった。Mちゃんとは前回コミュニケイションに失敗したのでちょっと逡巡したが、他のふたりの女の子も二時間以上待ちだったので、リターンマッチだ、とMちゃんに決めて90分AFコースを選び、写真指名料込みで3.1Kを支払う。 「8時半にこれをもって○○○号室にいってください」 と部屋番号、プレイ内容、Mちゃんの名前を書いた紙切れを渡される。いったんビルを出て東急ハンズの前のゲーセンで一時間暇を潰して戻る。指定された時刻に指定された部屋のチャイムを押すと、ドアが開いて、 「こんばんはあ」 と、ちゃんとMちゃんが笑いかけてきた。 前にMちゃんに会ったのはちょうどひと月前なのだが、Mちゃんは見事に僕の顔を忘れていたらしく、シャワーを浴びながら、 「ここは、はじめてですか?」 などと訊いてくる。 まあ、そのほうがいいのかもなと思った。前はコミュニケイションがうまくゆかなかったんだから、初対面として会話するほうが意志疎通ができやすいかもしれない。 部屋に戻って、はなしをした。しかし、いつの間にか僕は、父のことをはなしていた。誰かにはなさずにはいられなかったのかもしれない。そして、こういう場所の女の子というのは、ある意味でそういう内容のはなしの聞き役として、最適役かもしれない。 「でさ、手術して胃が四分の一しかなくなっちゃったから、ご飯がちょっとしか食べられないんだ。ふつうのひとと同じように食べてたら、胃が膨れちゃって吐いちゃうんだよね。だから、一日にちょっとずつ、なん回も食べなきゃいけなくて・・・」 「あーやだっ、もうやめて、もーやだ。・・・ねえ、そろそろはじめよ?」 Mちゃんのちょっと叫ぶような声に、僕は我に返った。まるで熱に浮かされたように喋っていた自分に気付いた。Mちゃんは、本当にイヤそうな顔をしていた。 「・・・ごめん。気分悪くなった? 謝るよ」 「ん・・・。いいんだ、別に。気にしてないから」 そんなつもりはなかったんだけど、僕の恐怖がMちゃんにも感染してしまったみたいだった。 Mちゃんは僕を仰向けにさせて、眼を閉じさせてからちゅっ、とキスをしてきた。そのまま、乳首に移る。そして脇腹、脚、息子。 ・・・比較すること自体が間違ってるのかもしれないけど、Mちゃんの愛撫は前回とちょっと違っていた。前回は決められたとおりの行為を決められた順番で、ただこなしているという感じだったが、今回はその行為ひとつひとつに対する僕の反応をちゃんと窺っているという気がした。 ひととおり終わったあと、今度は僕がMちゃんを攻めた。このときも、前回とは違ってた。くすぐったがりなのは同じだったがその範囲が狭くなり、乳房や乳首の愛撫にはちゃんと反応していた。 ひどく悪いことをしてしまったような気がした。やはり、Mちゃんに僕の恐怖が伝染ってしまったんだと思った。僕には、Mちゃんにそれを植え付ける権利なんてない。そして、当時二十歳だったMちゃんは、僕のはなしさえ聞かなければ、きっとそんなマイナスの感情をもつこともなかったのだ。 でもその反面、同じ恐怖を分け合うことで、僕はMちゃんにシンパシィを感じられたんだと思う。四つん這いになったMちゃんとひとつになったとき、僕は明らかに肉の快感だけではない感情を抱いていた。 ひとしきり腰を動かして(たぶん20分くらい)、快感が高まったとき、僕はMちゃんにいった。 「ねえ、最後は正常位素股でイキたいんだけど、いいかな?」 やっぱり最後は、Mちゃんの顔を見ながら、イキたかった。それに、Mちゃんの素股はナマだ。 これだけは前回と同じように、ものの三分と経たないで、僕はMちゃんのお腹のうえに大量に出していた。そして、ともかく自分はいま生きているんだと、実感した・・・。 おわび:なんか、ぜんぜん「ふーぞく体験記」らしくない内容になってしまいました。そういうのを期待されて読まれたかたがた、申し訳ないです。 |
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