観察眼、の成果

『めろめろ』 犬丸りん
(平成十三年一月二十五日 初版発行・角川文庫)


 短編小説集。“犬丸りん”さんというと、まずまっ先に『おじゃる丸』(姪のひなたも大好きです)を連想されるかたも多いのではないでしょうか。ああ、あの、ほのぼの〜な絵ね。そんなイメージをもたれているかと思います。

 ところが、文章の犬丸さんは非常にリアリスティック。エッセイ集『んまんま』(角川文庫所収)では人間観察のスルドさと、その合間にゆらゆら漂うユーモアを絶妙に描いた犬丸さんですが、今度は小説です。

 小説の犬丸さんもすごいです。もう、なにがすごいって、キャラクターみんながみんな、屈折あるいはハードなバックボーン背負いまくってるところです。

 たとえば、国立大学を優秀な成績で卒業したのに、「隅田川の花火大会を観るのに絶好」というだけの理由で会社に就職した女の子。入社初日に「バナナと牛乳を各人に配る」という“重要な仕事”を与えられ、いきなり落ち込みます。

 たとえば、とても神経質な男性と結婚したとても大雑把な女性。大学受験で泊まりにきていたダンナさんの弟とあやまちを犯してしまい、「どちらが父親か判らない子ども」を身籠もってしまいます。

 たとえば、パン屋さんになろうと決意した少年。高校三年の夏休み、フランス人ハーフの幼なじみとパンの食べ歩きのため、パリを訪れます。最後の夜、めでたく結ばれるふたり。翌朝、ベッドで親譲りのフレンチキスなんてしちゃいます。

 お互いがお互いのことを好きだったと知った喜び。もう、ふたりとも幸せの絶頂です。『ときめきメモリアル』みたいです(違うか)。・・・結ばれた相手が、男の子だということを除けば。

 と、つらつら例を挙げてきましたが、どうでしょう。「ドロドロしてるなあ」なんて思いますか? してない、というかしないんですね、これが。

 犬丸さんが描くのは、みんなふつーのひとたちです。いい換えれば、日曜日の大通りを歩いていればなん度もすれ違うようなひとたち。すれ違うけど、気にも留めないひとたち。

 あ、別段「ひとは誰でも他人にいえない悩みをもってるものなのだ」なんて、定年間近のアタマのなか身が35年前に固まってしまった国語教師みたいなことをいいたいわけではありません。

 犬丸さんの主人公たちは、とてもまっすぐなんです。まっすぐだから、壁にぶつかります。でもまっすぐだから、壁にぶち当たっても気にしない。そしてそれを越えると、もっと強くなる。ときには涙を流すときもありますけど。

 そのまっすぐさが、いいんですよね。もっとも、壁にぶつかったときどき、それを癒してくれるのは時間だったり、慣れであったり、本人の意志であったり、新しい出会いだったりするんですけど。

 ほら、ふつー、でしょ? それでさ、どのおはなしも、ラストにちょっとしたどんでん返しがあって。それが、全部が全部ハッピィエンドというわけではないんだけど、すごくほのぼの、するんですよね。

 ついでにいうと、犬丸さんの主人公は千差万別です。老若男女、ときには人間でなかったりもします(おっと)。しかしそのひとりひとりがすごくリアルで(嘘っぽくない、という意味です)、しかも最後はほのぼの。

 これは犬丸さんの文章(特に文体)のチカラもありますが、なにより観察眼のスルドさからくるものだと思います。あれ。なんだ、じゃあこれ、漫画の『おじゃる丸』とエッセイの『んまんま』と、基本的には同じ、なんじゃん。

 とにかく、犬丸さんは、僕が「(ふつーの)人間が描けている」という表現をもっとも使いたい作家です。忙しい日々にふと立ち止まってしまったあなた。自分の存在意義ってなんだろう、なんて思ってしまったあなた。

 そして、もうひとつ人間というものを深く考えてみたい、なんて思ってるあなた。そんなひとたちにとって、この本は最良のテキストかもしれません。ただし、あなたが中学生以下であるなら、逆効果、の可能性もあり。と、いちおう。


ご意見・ご感想はこちらへ