前田慶次の友になる方法

『隆慶一郎(りゅう けいいちろう)読本』
別冊歴史読本 作家シリーズC

(平成十一年四月二十四日発行・新人物往来社)


 隆慶一郎さんの作品に登場する人物のなかで、こと“脇役”という存在で僕がいちばん好きなのは、結城秀康だ。ただし作品によって色んな結城秀康がいるので、『一夢庵風流記』の、と断っておく。

 前田慶次郎利益(ここでいう前田慶次は、もちろん『一夢庵風流記』の主人公のこと)の友となるには、条件が要る。一芸に秀でていることだ。

 この一芸というのが、並大抵でない。それは慶次の友として描かれる人物たちを見てみるとよく判る。奥村助右衛門は、全身どこを切っても正義という態度で前田藩の重職を務めている。

 山上道及は数多の激烈な戦闘をくぐり抜けてきた真性のいくさ人だし、直江兼続に至ってはいうまでもない。一見主従の関係に見える捨丸や金悟洞さえも、実は忍びや刺客としての腕を認められて、側にいることを許されているように見える。

 ところが、結城秀康にはなにもない。たしかに馬場で馬を並べかけてきた小姓を一刀の下に斬り捨てたという精悍さは認められる。極端な気の強さも、戦国時代の若者であれば逆に評価されるところだろう。

 が、政治の中枢に身を置きながら清廉さを保ち続ける奥村助右衛門、幾多の修羅場を経験してきた山上道及、豊臣秀吉や徳川家康と同じ土俵で堂々と渡り合ってきた直江兼続らと比べれば、その肝は小さいといわざるを得ない。

 秀康にあるものといえば、徳川家康の実子で豊臣秀吉の猶子となり、さらには下総の名門結城家の養子となった身分、くらいのものだ。ところがこういう“一芸”を慶次は嫌う。事実、初対面の際に「わしは結城秀康だ」と威張る秀康を、慶次は完膚なきまでに叩きのめしてしまう。

 ところが、この無様な敗北が、秀康に慶次の友となる条件として最後の“一芸”を気付かせるという、皮肉な、彼にとっては幸運な結果を生んだ。

 花見をしている慶次の許へ、秀康は赴く。さっきは済まないともなにもいわず、ただ招かれて隣に座る。酌をされて酒を飲み、慶次に酌をし、返杯されてまた飲む。そして、ただ、にこりと笑い合う。秀康は思う。

<我、終生の友を得たり>

 全身全霊を込めて相手に惚れ、嘘偽り打算なしに相手と接する。これが、“ただの男”が前田慶次の友になる唯一の方法。秀康はその道を僕ら“ただの男”に教えてくれる。

 こと慶次と秀康との交情の場面に限っていえば、僕は『一夢庵風流記』よりも原哲夫さんの作画による『花の慶次』のほうが好きだ。原さんが結城秀康というキャラに、たぶん僕と同じ理由で惚れているのが、垣間見えるからである。

 思えば『捨て童子・松平忠輝』の主人公松平忠輝も、「自分より劣る者」に容赦はしない。剣や槍の師範を、逆に叩きのめす。しかし奥山休賀斎やましらの才蔵のように、一旦相手の力量を認めると、やはり終生の師とし、友となる。

 だが、豊臣秀頼が心底打算なしに忠輝に惚れ、義兄弟の契りを結ぼうというと、これを拒むことをしない。そのため後に自分自身が窮地に陥っても、それを覆すことはしない。この手の男は、決して男の誠心誠意を裏切らないものだ。

 ただし、慶次や忠輝は自分では謀略を嫌うくせに、その臭いには鋭い。もし損得勘定で彼らに近づけば、そのときは一生口もきいて貰えなくなるどころか、斬り殺されても文句はいえないだろう。

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 さて、『隆慶一郎読本』であります。生前の隆さんは、本人描くところの前田慶次や松平忠輝そっくりなひとだったんじゃないかと思います。素の信頼をもって、ようやく受け入れてくれるひと。でも、一旦受け入れてもらえれば、大切にしてくれるひと。

 この本で生前の隆さんについて悪く書いているひとは、ひとりもいません。すでに故人であるという一点を差し措いても、個々の文章にはその真情が溢れています。僕が特に感銘を受けたのは、こんな部分。

 苗字が偶然隆さんの本名と同じだったため、飲みにいくたび冗談で「甥です」といっていた担当編集者がいました。実際隆さんはまるで本当の甥のように、彼を大切に扱ってくれました。

 食事に誘われても酒場に誘われても、呼ばれているのは彼ばかり。そして酒場をなん軒回ろうと合流 してくる者はおらず、最後までふたりきり。これでかわいがられていないと思わなかったら嘘でしょう。

 ところが隆さんが亡くなられた後、各社の担当編集者や隆さんのシナリオ教室の教え子たち、そのほとんどが彼とは初対面だったのですが、と一緒に「偲ぶ会」をもったところ、

> 自己紹介が進むにつれて、私は落ち着かなくなった。
> 伜どころか、娘だ、姪だ、近習だと、
> 胸を張る連中ばかりなのだ。
>
> そして、異口同音に、飲む時食う時、
> 隆さんはいつも僕と、私と、徹底的につきあってくれた、
> 僕を、私を、隆さんはとことん愛してくれたと、
> 涙声で言うのである。
>
> そうか、そうだったのか・・・。
> 隆さんは、少なくともこの三十人の全員と、
> 会う時は必ず一対一で会い続けていたのである。

 これを読んで、僕も涙しそうになりました。なんて素晴らしいひとなんだろう。本人にはまったく気付かせずに、隆さんは多くのひとたちに、「自分が一番大切にされている」と思い込ませていたのです。

 そして、逆にいえば、それだけ多くのひとびとが、誠心誠意打算抜きで隆さんの人柄に惚れていた、ということになるのでしょう。自分に惚れていない人間に、そこまでする義理はありません。

『隆慶一郎読本』は、基本的には隆さんの作品の解説やその背景についての文章が大半を占めています。が、僕はこの本を読むことで、隆慶一郎という人間自体の魅力を感じました。

 僕は今までずっと、「阿佐田哲也さんと麻雀を打ってみたかったなあ」と思っていたのですが、いまは「隆慶一郎さんと酒を飲んでみたかったなあ」という想いでいっぱいです。その前に、隆さんに人間として認められてなかったかもしれませんが。


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『一夢庵風流記』を原作にしたコミック。少年ジャンプコミックス。最近文庫版も発行されています。

ある意味、これはもうひとつの『隆慶一郎読本』です。『一夢庵風流記』だけでなく、『見知らぬ海へ』、『花と火の帝』、『鬼麿斬人剣』など隆さんの他の作品をベースにしたキャラクター、エピソードなどが豊富に使われています。

特に未刊に終わった『花と火の帝』のひとつの結末をオリジナルで作り出している(最近再読して判ったのですが)のは嬉しかったです。






















































僕は前出のコミック『花の慶次』から原作の『一夢庵風流記』に走って隆さんの小説の面白さに目覚め、それから文庫本を次々に購入していったクチです。当然、最初に隆さんの文章に触れたときには既にご本人は亡くなられていました。

ところが、これは『隆慶一郎読本』を読んではじめて知ったのですが、隆さんは死の直前に基督教の洗礼を受けられていました。もちろん葬儀(ミサ及び本葬)は教会で行われました。

それが・・・。実は、僕が当時通っていた大学の敷地内にある教会だったんです(教会側からみれば、「うちの敷地内に大学がある」というかもしれない)。

だから、もしかすると、僕は隆さんの遺体が運ばれるのを、煙草を吸いながら校舎の窓からぼーっと見ていたかもしれないんですね。・・・いや、だからどうだといわれても困りますけど。完全に“想い入れ”ってヤツです(^^;。