ネコブルさんたち寄っといで

『マレー半島すちゃらか紀行』
若竹七海 加門七海 高野宣李
(平成十年十月一日発行・新潮文庫)


> これは、無謀にも年齢による体力と気力の衰えを無視し、
> 一九九四年三月にマレーシアを旅行したものどもの、
> 愛と勇気と感動と、そしてネコブルの物語である。

 あ、のっけからしかも冒頭の文章を引用してしまった。だってこの一文以上にこの本の内容を的確にいい表すなんて、僕には無理だもん。もっとも「ものども」を「女三人ども」に変えれば、紹介文としては完璧かも。

“ネコブル”というのは、要するにトラベル中に出くわすトラブルの軽度のもの。トラブルとまではいかない程度のアクシデント、といえばいいだろうか。このことばが若竹さんらの造語なのか、はたまた他に出典があるのかは知らない。

 若竹、加門、高野の三名は、いずれもネコブルのネコに深く愛されているひとたちだ。その三人がトリオを組んで、周到緻密なようで実はかなり杜撰な計画のもとにマレー半島を縦断しようってんだから、ネコが黙ってる筈がない。

 空港に着けば荷物がない。街を歩けば迷子になる。目的地に着いたら宿がない。タクシーの運ちゃんにはボラれる。もうこれでもかこれでもかとばかりに襲いかかる、ネコブルの嵐。果たして一行は無事に日本に帰り着けるのか?

 これを読んでいて思ったのは、どうして女のひとが書いたものってこんなに面白いんだろう、ということだ。いや、“面白い”というとちょっと語弊がある。“笑える”といい換えておこう。

 おそらく同じ内容のものを男性が書いたとしても、これほどは笑えないのではないか。とにかく僕はこの本を読んでる間に大爆笑を三度、「ぷっ」とか「くすっ」程度の笑いは数え切れないほど漏らした。

 さて、くすくすげらげら笑いながら読んでいて、ふと彼女たちの文章には、ある共通点が存在するような気がした。もちろん個々にはそれぞれの個性があるが、全体的にみた文体が誰かに似ている。誰だろう・・・。はっと気付いた。

 川原泉教授だ(あ、なんかすげー抗議きそうな気が・・・)!

> わしらは栄冠とか優勝とか
> そんなもんに輝かなくてもいいんだな
> 人間 妙な欲を出しちゃいかんのだな
『甲子園の空に笑え!』より

 ちなみに上の文は、“(たぶん)23歳、某高校の女性教師”のモノローグだ。花も恥じらう乙女(といっていいでしょう、まあ)がこんなことば遣いをしちゃっていいのか? いいんだな。

 若竹さん、加門さん、高野さんは女性だ。現地のひとに年齢を聞かれて、「二十八歳だよん」とそれでもかなりサバを読んで答えるが、やっぱりふつうのかよわい女のひとだ。別に懸垂が100回できたり、腹筋運動が200回できたりするわけではない。

 彼女たちは必死こいてマレーシアをゆく。ヒルに喰いつかれ、いまにも沈みそうな船に乗り込み、暑さでアタマがモーローとして全員で『ソーラン節』を大合唱しつつ、ジャングルをゆく。

 そこでは“女性だから”という論理は通用しない。男だろーが女だろーがヒルは喰いつくし、乗る船がよくなるわけでもない。暑けりゃ老若男女問わず、平等に暑い(暑さに強い体質ってのはあるかもしれないが)。

 だから、彼女たちの文章には「わしら」とか「な、なにお〜っ。まけろ」とか「夕飯喰わせろ!!」などという、荒いことばが頻出する。もうとにかく生きなきゃ、ゆかなきゃしょうがないのだ。それが“ツーリストよりトラベラー”を選んだ人間の、宿命なんだから。

 だけど、読む側からすればやっぱり彼女たちは“彼女”たちだ。かよわい女性たちが旅行先の異国でネコブルに見舞われ続ける。それは男性(特にゴルゴ13みたいな男ならなおさら)が同じような目に遭うのとは、まるっきり違う意味をもってくる。

 先に引用した、川原泉教授作品の登場人物のモノローグもそう。彼女は“女性である”という事実がちっとも有利に働かない世界で頑張っている。そして“わしら”は、性別も年齢も超えた意味での一人称複数形として使われている。だからこそ、それがひどく感動的に映る。

 まあ、僕はいまだに「女の子は砂糖菓子とマシュマロでできている」と信じている奴ですからね。そーゆー幻想(妄想?)を抱いていないかたがたにとっては、あまり面白いとは感じられないかもしれません。

 ただ、この本は単純にマレーシアという国に関してのファーストステップガイドとしてもご利用になれます。でも、この旅行記から四年半、いまクアラルンプール、大変みたいだけど。


ご意見・ご感想はこちらへ

 
























































漫画家。その作品はいちおう“少女漫画”というジャンルにカテゴライズされるが、とてもじゃないがそんなことばで括れるものではない。最近エッセイ集も出したらしい。

その語彙と知識の広さ、哲学的なセリフ廻しなどにより、ファンから敬愛の念を込めて“教授”と呼ばれる。代表作『笑う大天使(ミカエル)』、『銀のロマンティック・・・わはは』など。






















































一九九五年三月二十二日 初版発行、白泉社文庫。

コミックス版ももっているんですが、いまどこにあるかわかりません。