真実と嘘の皮膜

『AV女優』 永沢光雄
(1999年6月10日 第1刷・文春文庫)


「歴史にifはない」ということばを僕は信奉していて、また実際その通りだと思っている。でも、やっぱり自分という個人の歴史に関しては、「あのときこうしていたら・・・」と空想することはたまにある。

 その日、僕は薄く風邪をひいていた。会社で午後の仕事をはじめたあたりから、なんとなくからだが重くなってきた。たぶん翌日には本格的な症状が出てきて、微熱や咳や頭痛を誘発するだろう。そう思った。

 風邪の初期症状に対する僕の処置方法はひとつだ。“食う”。定時に退社した僕は飯田橋で南北線に乗り換えて四谷で降り(当時僕は中野から九段下まで東西線一本で通っていた)、“スタミナランチ”を食うためにしんみち通りの洋食屋“バンビ”に向かった。

 地下鉄の出口から店に向かう途中に、わりと大きな本屋がある。手持ちの文庫本は四谷に着くまでに電車のなかで読み終えていた。メシの前に文庫本の補充をしようと、ふらっとなかに入った。

 なん冊かの文庫本を手にレジに向かう途中、ふと単行本のコーナーに足を向けた。その一角に『AV女優』というタイトルの本が平積みされていた。どうやらAV女優のインタヴューを纏めたものらしかった。僕はその本をレジまで運んだ。

 単行本を購入するのは二年ぶりだった。値段は消費税込みで三千円近かった。ふつうの文庫本なら五冊は買える額だ。でも迷いはなかった。もしかしたら、風邪のせいですでにアタマがぼーっとしていたのかもしれない。

・・・で、いま、考える。もしもあの日、風邪をひいてなかったら。四谷でメシを食おうと思わなかったら。手持ちの文庫本を読み終えていなかったら。本屋に『AV女優』が平積みされていなかったら。僕はこの本に出会うこともなく、同時に永沢光雄さんという希有なライターを知ることもなかっただろう。

 部屋に戻って『AV女優』のページをぱらぱらとめくってみた僕は、その内容に圧倒された。自分が風邪気味で酒でも呑んで早く寝なきゃならない身だということを忘れ、貪るように読み続けた。で、結局僕はその二日後に発熱で会社を休む羽目になるのだが・・・。

 さて、先に触れたように、この本はAV女優のインタヴュー集だ。世間一般のひとびとがAV女優という存在に対してどういう概念(ステレオタイプも含めて)や感情をもっているのか、僕は知らない。

 でも彼女たちの語るエピソードのひとつひとつは、すごく胸に迫る。この本を読んでいて僕は、もし当の女の子がいまこの場にいたら「よしよし」と頭を撫でてあげたいという感情に、なん度も駆られた。それほど彼女たちはそれぞれ自分の過去を、そして現在を精一杯に生きている。

 ところで『AV女優』のなかに、女優のひとりが出身地を訊かれて慌ててマネジャーに電話し、「わたしの今の出身地ってどこだっけ。えっ。北海道。そうなんだ」。電話を切って「北海道だそうです」と答えるシーンが出てくる。

 いや、そんなことはわかってんだよ。やっぱふつうのアイドルとはちょっと違うけど、顔と経歴が命の業界だもんね。彼女たちのエピソードが“つくられた”ものだって可能性はあるよね。でも、それがどーしたっていうんだ。

 どんなに嘘で塗り固めようと、そのなかには一片の真実が出てくるものだ。そして、永沢さんという聞き手は非常に高いパーセンテイジで“真実”を掘り起こし、そしてそれを書き手として見事に取捨選択して文章にしている、ように思える。

 僕が特に感動したのは『南条レイ』の項だ。南条レイは入社一年足らずで売り上げトップにまでなった会社を、とっとと辞める。「トップになるのだけはイヤ」という、ただそれだけの理由で。そして、単身カナダに渡る。

 だが、ことばの通じない外国ですぐに仕事が見つかるわけもなく、彼女は日本から持ってきたお金を遣い果たし、借りていた部屋も家賃滞納で追い出されてしまう。

 異国の地でお金も部屋も失くしたレイはある教会の前で立ち止まり、そこの牧師にいう。「I don't have money. I don't have home」。牧師は彼女を教会の地下室に連れていく。そこには彼女と同じ境遇(つまりホームレス)のひとたちがたむろしていた。

 とりあえず寝る場所と食べ物を確保できたレイは、日雇いの仕事をはじめる。食住はほとんどタダという環境で仕事に励み、ある程度のお金を貯めて再びアパートを借りて教会を出る頃には、自然と英語が喋れるようになっていた。

 そして英会話をマスターした彼女は、日雇いより時給と待遇のいい、レストランでアルバイトをはじめるのだが・・・。ここから先は永沢さん(オリジナルはもちろん南条さんだけど)自身に語ってもらおう。

> 「そしてさ、レストランじゃいつも残り物が出るでしょ。
> それをもらって、教会の仲間たちの所に持っていくの。
> 『みんな、今日はご馳走だよ!』とか言ってさ」
>
>  私は、この南条レイの、「みんな、今日はご馳走だよ!」
> という話が好きだ。この話を愛していると言ってもいい。


 そう、僕もこのはなしを愛した。こんな経歴は、おそらく“AV女優”には必要のないものだ。嘘の経歴にしたって、こんなにリアルに語れる筈がない。それに永沢さんは、きっと嘘だと思ったら文章にしない。

 そして僕は、このエピソードを掘り起こし、しかも的確にカタチにした永沢さんの才能を愛した。そして、こんな企画を掲載していた当時のエロ本(決して差別的な意味でいっているわけではありません)を、以前よりもっと、愛するようになった。

・・・閑話休題。この本にはこんなエピソードが、いくつもいくつも詰め込まれている。それは単に“AV女優”の生態を知るだけではなく、1970年代から'90年代にかけての“そこらに散らばってる女の子”ひとりひとりの苦戦奮闘を示す、叙事詩でもある。

 この本が解説で述べられているように「50年後には貴重な民俗資料」となるかどうかはわからない。ただ、そこに淡々と記されている記録、それに触れるだけでもいいんじゃないか。ものの見かたが変わってくるんじゃないか、と思う。実際、僕は変わった(どの程度かはわからないけど)。

 さて、ここからはまったく個人的内容です。実はこの文章、このコーナーの趣旨「最近読んだ本」からすると反則なんです。

 最初に単行本でこの本を読んだとき、僕は痛切に「ああっ、許されるならこの本が文庫になったときには自分が解説を書きたい!」と思いました。残念ながら今回の文庫化でその機会は失われてしまったわけですが。

 当時は本のタイトルおよび内容からして、はたして文庫化されるのか、されるにしろなん年かかるのか、と思ったものでしたが・・・。思ったより早く文庫化されて、ちょっぴり残念だけど安心しました。

 だから・・・。えっと・・・。これは、『AV女優』の、僕なりの“解説”なんです。だからブックレヴューになっていないかもしれないんですけど・・・。許してください。


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