「レミング」。特に鼠が有名なようですが、ある事情で個体数を支えきれないほど異常繁殖すると、集団(といっても半端な数ではない)で海に向かって暴走し、大半が溺れ死にます。これによって個体数が激減、調節となるわけです。


藤子・F・不二雄の『異色短編集1 ミノタウロスの皿』のなかに、『間引き』という作品があります。

時代は近未来。人口爆発と食糧の不足により、日本では食糧配給制度が復活しています。コインロッカーへの赤ん坊の遺棄が“流行”となり、「理由にもならんことで簡単に血を見る」ようなご時世。

主人公であるコインロッカーの管理人のもとへ、赤ん坊の遺棄を取材にやってきた記者はこういいます。「いやいやぼくはちょっと、新しい面からこの現象を見てるんです」。

「ご存知ですか? 『どの科の動物にも特有の全個体数には上限がある』という説を。事実、有史以来絶滅もせず残っている現代の生物は年間の平均増殖率がゼロに近いものばかりなんですよ」

「それらの種はそれぞれの種の内部に、あるいは周囲に、総数を調節する機構をもって、安定した食物連鎖の中に組みこまれているんです。(中略)特殊な例ではレミングがありますね。個体数が限界を超えると盲目的に死の行進を始めるわけです」

(中略)「近頃の一般的な社会現象から感じませんか? 異性愛 肉親愛 隣人愛 友情・・・あらゆる愛情が、最近急速に、消滅しつつあることを感じませんか?」

「中略そう思ってみれば、この『愛』なんてものは種の存続のための機能のひとつにすぎないんだね。(中略)今後ますます激しくなるでしょうな 憎み合い殺し合い・・・効率の良い『間引き』が行われて・・・」

長々と引用してしまいました。この作品の初出は1974年なのですが、2001年の現代に読むと、いやまあよくも未来をこれほど見透かしていたものだ、と感心してしまいます。いや、感心するだけじゃすまないけど。

僕には1974年という時代の記憶はないのですが、村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』や手塚治虫『ブラック・ジャック』を読む限り、コインロッカーへの赤ん坊の遺棄は、当時続発していたようです。

最近はそっちはあまり聞かないですけど、幼児を虐待の末殺しちゃったとか、「理由にもならんことで簡単に血を見る」なんて記事は毎日のように新聞をにぎわしてますよね。

本当に、「昔では考えられないような」理由が簡単に殺人や暴力の引き金になってしまっています。それも、ひとり殺すだけではなく、一度に大勢を殺してしまう事件が頻発しています。それも都会、地方関係なく。

さらに、今朝の新聞記事を読むと、ここ数年自殺も増加傾向にあるようなのです。わが国の自殺者数はこの半世紀、年間15,000人から25,000人台で推移してきたそうですが、1998年には前年の24,391人から一気に32,863人を記録。

1999年はさらに増えて33,048人。2000年の統計はまだ出ていないそうですが、30,000人を超えたのは確実。また、2001年の今年も厚生労働省の2月末までの概算では過去3年と同じペースで発生しているとのことです。

それぞれにやむにやまれぬ事情があったであろうことは解るのですが、16分にひとりが自らの手でいのちを絶っているという現実。日本人は隣人愛や肉親愛に加えて、自分愛をも失くしてしまったのでしょうか。

これらの社会現象が大自然の、もしくは地球が人類に、もしくは日本に与えた「個体数の調節機構」だと見るのは早計に過ぎるでしょう。しかし、日本の人口が本来の理想に比べてむちゃくちゃに多いことは、周知の事実であることも確かです。

いや、だから中国みたいに「ひとりっこ」政策を採れ、などとはいいませんし、殺人を奨励しろなんていうつもりも毛頭ないのですが。ただ、自分や他人をもっと大事にする、ということを心に留めておいてほしいなあと思うんです。

「痛みを伴う改革」やらゆって、昔の名前で出ています的候補を乱立する政党がひしめく参議院選の前日、まだ他に考えたりやるべきことがあるんじゃないかなあ、とふっと考えた一日でした。


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1995年8月10日 初版 第1刷発行、小学館文庫。『間引き』の初出は、「ビッグコミック」1974年9月10日号。