僕のやっていた流派での帯の色は、
〜四級まで=白、一級〜三級=茶、
初段〜=黒、でした。あと、三段で
袴を履く権利、四段で指導の権利を
得られます。
ちなみに合気道に蹴りはありません。


 僕はいちおう、合気道二段だったりします。 なんでこんなものをもってるかというと、大学時代にそういうクラブに在籍していたからです。 なんでそういうクラブに入ったかというと、高校生の頃に、

「素手でひとを殺せる技を、身につけたい」

 と思ったからです。 いや別にアサシンとかどっかのエイジェントとか、そういうものになりたかったわけではありません。 ただ単に、なにか特殊な状況に陥ったとき、なにもしないで自分だけ死ぬのはご免だ、と思ったんですね。

 さて。 動機はともかく、やってるうちに四級を取得し、それが三級、二級、一級とあがってゆきます。 二級くらいになると、「自分の覚えた技を、実戦で使ってみたい」という欲望が湧いてきます。 これは武道や格闘技を学んだひとであれば、誰しも感じる想いでしょう。

 幸か不幸かその機会はないまま、やがて初段となりました。 はじめて黒帯を締めたときは、やっぱり万感胸に迫るものがありましたね。 やっとここまできた、というか。 同期は12人いましたが、初段までこぎつけたのは8人でしたし。

 で、自分が強くなった気がしてきます。 だいたい年齢もハタチで、気力体力最も充実してるときですしね。 その頃、夜の吉祥寺で酔っぱらいのオヤジと喧嘩しそうになったことがあります。 一緒にいた女の子が泣きながら止めたので、大事には至りませんでしたが。

 ところが。 二段に上がったのはその一年後でしたが、その前後から感情に若干の変化が生じてきました。

 まず、自分は本当に強くなったんだということを、“理解”します。 “気がする”のではなく、“わかる”んです。 その頃は、喧嘩になったとしても素人相手なら三人までは自信がありました。

 そして同時に、前述した「自分の覚えた技を、実戦で使ってみたい」という気持ちが、消えてしまいました。 逆に、「なるべく喧嘩をしないようにしよう」と思うようになったんです。

 どうしてでしょうか?  怖くなったからです。 たとえば、下級生に技を教えるために、その技をかけますね。 一年生なんて素人同然ですから、当然受身はうまくありません。 そうすると、たまに、

「あ、いまアスファルトの上で技かけてたら、こいつ死んでたな」
「いまの本気でやってたら、腕が折れてたな」

 そういうのが、“わかる”んです。 これ、ものすごく怖いです。 そのたび、背筋が寒くなります。

 喧嘩なんて、たいていアスファルトの上でしょう。 で、受身のとりかたをからだで覚えてるひとなんて、そうそういないでしょう。 しかもそういった場合、こっちも“キレて”しまってる可能性が高い。

 そうすると、本当に殺しちゃうかもしれないわけですね。 たとえ相手がナイフ振り回していて裁判所では正当防衛が認められたとしても、殺人は殺人です。 そのひとの全人格を、それから背負って生きてゆかなければなりません。

 本当に強いというのは、弱くなることなのかもしれないと思います。 いま、少年のナイフによる犯罪がやたらいわれていますね。 かつて「ひとを殺せる技を身につけたい」と考えていた自分としては、ナイフをもつ少年たちの気持ちがわからなくはありません。

 技をもたなければ、武器で自分を護るしかないのですから。 そして、たしかにいまの少年たちは、僕が彼らの齢頃だった時代と比較すれば、ある意味“特殊な状況”におかれていると思います。

 しかし、<ナイフを人間のからだに刺せば、どうなるのか>ということを、しっかりと考えて欲しいと思います。 本来もたないのがいちばんいいのでしょうが、もっていても“使わない勇気”をもつこと。

 まあ僕は、遺書にいじめっ子の名前を書いて自殺し、おとなたちに復讐してもらうような奴は大嫌いです。 最近そういう奴がやたらいますが、ものすごく卑劣なやりかただと思います。

 自殺するくらいなら、ナイフでいじめっ子を殺してやったほうがいい。 それは立派な正当防衛だと思います。

 しかし、そこまで追い込まれてナイフを使った少年は、ほとんどいないみたいですね・・・。 難しいものです。


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