自分が時代の最先端をいった
と感じたのは、それが最初で
最後でした。ま、こんなこと
経験しなきゃこんなひねくれた
性格になってないでしょうが。



 朝、通勤電車に乗っていると、落合でかわいい女の子が隣に座った。 たぶんはたちそこそこ、右手に緑色の切符を持っている。 そして、座ると同時にバッグから『面接のなんとか』という本を取り出した。

 で、ちょっと本を開いてすぐまたバッグに仕舞い、 また取り出してはちょっと読み、という行為を繰り返している。 ようするに、まるで落ち着きがない。

 よく見ると(見るなよ)、彼女はダークグレイのスーツを着ている。 落ち着いた感じだが、会社に面接にいくにしてはちょっとおしゃれかな、といった服。

 切符を握ってるということはたぶん、OB訪問だ。 落ち着きがなく、しかも電車のなかで面接の本を開いてるということは、 たぶんきょうが生まれてはじめての経験なんだろう。

 大学の新学期がはじまったかどうかって頃なのに、大変だなあ。 まだ超氷河期は続いてるんだ・・・。 とまあ、とりあえず朝起きてからゆく場所がある身としては、のんきに考えたわけだ。

   ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 僕が就職活動というものを本格的に経験したのは、大学五年のときだ。 あまり必死こいてやった記憶はない。 五月、とりあえずクラブのOB (某大手生保と損保) に頼んで、OB訪問なるものを経験させてもらうことにする。

 ふたりとも僕が一年の頃の四年生だから、 リクルートに関してはかなりな権限をもっていたらしく、 わりにちゃんとした店で酒と飯をごちそうしてくれた (まだバブルがはじけるかどうかといった時期だったこともある)。

 ・・・はいいんだけど、
「で、本試験に進むにはどういった手続きをとればいいんですか?」
 と訊くと、ふたりがふたりとも、

「お前、本気でウチの会社来る気か?」

 というのだった。 そのときはかなりムカついたものだが、 いまにして思うと僕の性格をよく理解していたんだなあと感じる。

 で、六月。 とある都市銀行を受けた。 これは大学の友人 (すでに卒業して社会人になっていた) 経由のうえに、リクルート担当者がこれも大学のOBだったので、 ぽんぽんと重役面接まで進む。

 ところがもうひとつ、こっちも大学の友人経由で某広告代理店も重役面接まで進んでしまった。 面接は銀行のほうが先だ。 僕は代理店が第一志望だったので、そのことを銀行の担当者に話すと、

「ウチに合格したら代理店は蹴ると約束しなければ、重役面接には上げられない」

 という。 当時から僕は“縁”というものを信じていたから、それも縁かと考え、 「わかりました、御社に受かれば代理店のほうの面接は受けません」 と答えた。 すると彼は喜んで僕の手を握り、

「ありがとう。 重役面接までいけば、もう決まったようなものだからね。 来年からよろしく」

 といったものだ。 で、どうなったかというと、重役面接の夜電話があって、 「もう決まったようなもの」といって僕の手を握ったそのひとに、

「残念ですが、ご縁がなかったということで・・・」

 と、いきなり敬語で断られたのだった。 友人のはなしだと、重役面接までいって落ちたのは、僕ひとりだけだったらしい。

 で、その三日後。 代理店のほうも、重役面接(最終)で落とされた。 こっちは最終面接で三分の一くらい落とす勘定にしていたそうだが、 ここでも僕はマイノリティになってしまった。
 
 ともかくこれで、本試験を受けるしか就職する方法はなくなってしまったので、 僕は三つ入社試験を受けることにした。 えらく少ないと思われるだろうが、 本試は解禁日の八月一日(当時)に集中するので、 自分が入りたいと思えてしかも受けられる企業は、それくらいしかなかった。

 そのうちの一社 (規模は三社のなかでいちばん小さい)は、 最初に『仕事について』というタイトルの作文と履歴書を郵送して一次選考、 そのあと試験と面接という日程だった。 一次選考には通ったらしく、通知がきた。 当日試験会場にいくと、定員は八名なのに五十人くらいの学生がいる。

「こりゃあ落ちた・・・」

 そう思いながら午前の試験を受け、午後の面接に臨んだ。 順番がきて部屋に入ると、面接官はちょっと小太りのおじさんひとりだった。 どうも風采のあがらない、ぱっとしないひと。 内心僕は<親会社から出向になったひとかな・・・>などと思ってたくらいだ。

僕が椅子に座ると、おじさんは履歴書で僕の名前を確認するなり、
「ああ、・・・(僕の本名)くんね。 君の作文、すごく面白かったよ」
 といってくれた。初対面の人間に自分の文章をほめられたのは、生まれてはじめてだった。

 どうやらおじさんはすでに作文で僕に好意をもってくれていたらしく、 和やかな雰囲気のなかで面接は進んだ。

 で、結局僕はその会社に内定をもらってしまった(他二社は落ちた)。 九月十六日(だったと思う)に内定者召集にいって、面接官のおじさんが社長だったことを知り、びっくりした。

 さて、めでたく就職も決まったので、 僕は以前から気になっていた病気 (いのちに関わるものではないが、病名をいうのはちょっと恥ずかしい) を治すために帰省して入院し、手術を受けた。

 就職活動のせいで入院が遅れたために、十月一日の内定者召集 (ここで本採用の通知を受け取る) までに退院できなくなったので、 その旨を人事のひとに説明し、了承を得る。 採用通知は、僕だけ日程をずらして渡してもらうことになり、 日にちは追って連絡しますといわれた。

 東京に戻ったのは十月四日。 すぐに会社に連絡して、採用通知を待つ。 が、待てど暮らせどなんの音沙汰もない。 十月下旬になってさすがに焦り、こちらから連絡を入れると、

「では、今週の土曜日に来社してください」

 といわれた。 なんでわざわざ会社が休みの日にと思いつつ、 指定された時間に会社に足を運んだ僕を待っていたのは、人事担当者の、

「申し訳ありませんが、このはなしはなかったことに・・・」

 ということばだった。

 驚いて事情を訊くと、毎年内定辞退者が少なからず出るので、 いつも定員の倍くらいの人数に内定を出していたのだという。 ところがその年はどういうわけか辞退者がほとんど出ず、 内定者招集日に定員の1.5倍くらいの学生がきてしまった・・・。

 すべての疑問が解けた。 なぜ、わざわざ会社が休みの日に、呼び出されたのか。 なぜ、そのとき僕の前にいたのが、人事担当者ふたりだけだったのか。

 僕が十月一日の内定者召集に出席しなかったのは、 内定を辞退したためだということにされてしまっていた。 そして、本当のことを知っているのは、その場にいる三人だけなのだった・・・。

   ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 さて、その後また事態は二転三転するのですが、 長くなったのでこのへんでひとまずやめておきましょう。 ともかく、いま僕が勤めているのがその会社でないことだけは、断っておきますが。

 数年前、とある外資系企業の内定取り消しが問題になったとき、 僕は<俺ってもしかして時代の最先端をいってたのかも・・・> とぼんやり思いました。

 ともかく、僕にはいま、朝起きてゆくべき場所があります。 隣に座った落ち着きのない女の子は、飯田橋で電車を降りました。

「就職なんて、たいしたことじゃないんだよ」

 僕は彼女の背中に向かって、そうつぶやきました。


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