K先生は、ほんとにこんな顔をして 年中こんなセーターを着ていた。 当時、クラスの連中は陰で先生を “栗頭”と呼んでいた。 あ、いまの若者には“栗頭”なん つってもわかんないかなあ・・・。 |
むかしむかし、といってもまあ、百年くらい前のはなしでしょうか。
ヨーロッパのある製靴会社が、アフリカにふたりの社員を派遣しました。
彼の地で我が社の靴が売れるかどうか、市場調査
(マーケティング リサーチ)
をしてこい、というわけですね。 一週間現地に滞在したふたりは、それぞれ本社に調査レポートを送ります。 サム君はこう書きました。 「大変です! 誰ひとりとして靴を履いていません。 この土地では靴の需要はまったくないと思われます」 対して、アムロ君はこう書き送りました。 「大変です! 誰ひとりとして靴を履いていません。 すぐに靴を大量に送ってください。 この土地は膨大な市場となるでしょう。 工場もつくりたいので、そのための人員もよこしてください」 本社がどちらの意見を採用したかは、いうまでもありません。 アムロ君は会社のアフリカ支店長に抜擢され、大成功をおさめましたとさ。 とんとん。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ このエピソードは十年ほど前に、 あるどイナカの高校の校長が朝礼で生徒に語ったものなんですが、 けっこう有名なおはなしのようです。 最近、ある雑誌広告で使われているのを発見して、懐かしくなりました。 もしかしたら実話かもしれませんね。 さて、朝礼でそのはなしを聞いたM少年は、どう感じたでしょうか。 ちょうどその日M君は週番で、クラス日誌をつける立場にいました。 M君は日誌にこう書きました。 <僕はサム君のほうが正しいと思う。 樋口清之さんの『梅干と日本刀』によると、 江戸時代まで日本には水虫という病気は存在しなかった。 明治になって西洋式の革靴が普及したが、 日本は欧州と比べて高温多湿なので、足が蒸れてしまう。 ために、以後百年の間に、日本では水虫が馴染み深いものとなってしまった。 革靴を履きはじめたアフリカの住民たちの間には、 きっと水虫が大流行したことだろう。 アムロ君のようなよけいな奴がいなければ、 彼らはいまでも水虫に悩まされることなく、 暮らしていたはずなのに・・・> 記憶を元に書いてますけど、まあこんな感じだったと思います。 しかし、それに対する担任のK先生(当時二十九歳)のコメントがよかったですね。 >たいへん勉強になりました! >ひとの話をただ漫然と聞くだけでなく、 >それに対する自分なりの意見を持つというのは、 >とてもすばらしいことです。 いま思うと、いい先生だったんでしょうね。 同じくらいのころだったと思いますが、こんな記憶があります。 K先生がM君のからだをくんくんと嗅いで、こういいました。 「お前、なんか煙草くさくないかあ?」 「やだなあ、先生。俺が煙草なんて吸ってるわけないじゃん。 家でも学校でも品行方正、まじめな高校生で通ってんだからさあ」 でもM君の笑顔は、心なしかひきつってたようです。 ちなみに会話はぜんぶ、標準語に訳してあります。 仮に、のはなしですが・・・。 そのとき持ちもの検査をやられていれば停学は間違いなかったでしょう (イナカの高校はヘンな意味で厳しいんです)し、 そうするといまのM君、すなわち僕もなかったでしょうね。 なにせ、大学入学後最初の夏休みに同級生の親父さんがやっているおでん屋で一緒に飲んで (あれ、でも俺あのときまだ未成年だったような・・・)、 「お前高校の頃煙草吸ってただろう。 しかも校内で。酒も飲んでただろ、S(僕の当時の親友の名前)のうちで。 ほんとはぜんぶ、わかってたんだからな」 と酔っ払ったK先生にいわれて、ちょっとビビった記憶があります。 怖いなあ、おとなはなんでも知っている。 でもまあ、そんなことはどうでもいいんです。 はなしを元に戻しましょう。 僕には、アムロ君を非難するつもりなど毛頭ありません。 しかし、あるひとつの文化というのは、 やはり人類誕生から数千年数万年を経て、その土地に適応したかたちで、 形成されてきたものなんです。 まったく違う発展と成長を遂げた別ものの文化をそこに適用、 もしくは強制的 (それが広告やセールスによるものであれ、権力によるものであれ) にあてはめようとするのは、ある意味完全な間違いといっていいのではないかと思います。 ちなみに、それが間違いと思わないかたは、 ぜひ酒見賢一さんの『籤引き』を読んでみてください。 アルフォンス ドーデは『最後の授業』のなかで、 こう書いています。 <自分の国のことばをちゃんと憶えているのは、 牢屋の鍵を握ったようなものだ> 僕にはそのセンテンスの意味が、この齢になってようやく、 理解できてきたように思うのです。 |
『梅干しと日本刀』樋口清之、 昭和四十九年十一月十五日初版発行、祥伝社。 |
『ピュタゴラスの旅』酒見賢一、 1994年1月15日第1刷発行、講談社文庫。 に、所収されています。 |
この作品は小学校六年のとき、光村書店の国語の教科書で読みました。
とてもいい作品だったので、いまだに教科書を捨てずにとっています。
でも実家の物置にあるので、詳しいデータを記すことはできません。
ごめんなさい。 この作品とその挿絵のおかげで、僕はいまだに Vive la France!(フランス万歳!) ということば(フランス語)を憶えています。 追記:昨年実家が引っ越しをしてしまったので、 おそらく教科書は捨てられてしまっただろうと思います・・・。 |