あくまで僕の個人的思い入れに基づいていますので、批判はお断りします。 ただし、万一メーカー名が間違ってたらお詫びします。 |
上京してきた最初の日、池袋のホテルの裏にあった店で打ったのがこれだった。
千七百円勝って、夕食にステーキを食べた。
あのとき負けていれば、いまごろ貯金が三百万は貯まってただろう。 |
最初のモデルでは役物が長嶋さんと王さん
(右バッターの背番号が3、左が1)
だったのに、なん回めかのヴァージョンアップでは原さんと吉村さん
(右が背番号8、左が7)
になっていた。 |
失業ちゅうにこの台で生活費を稼ごうとして、見事に失敗した。
ついこの間まで中野・富士会館の通称『象の墓場』に存在していたが、先日の新装開店でついに姿を消した。 |
なんといっても、郷里でパチンコを打って打ち止めにできた台はこれしかない
(イナカのパチンコ屋は釘がキツいんだ)。
しかも2回もだ。
東京でも三鷹のニューヨークでお世話になった。 |
なん年かまえ、ブルーハーツのライヴの日に五千円しかなかった
(女の子つきなのに)。
負けたら質屋で勝負に出た。
最後の百円でかかって二度3連チャンし、財布のなか身は三万円になった。 |
この台ってふつう、いちばん小さい穴が大当たりなんだけど、関西ではカギ状の穴も大当たりにしていたらしい。
荻窪のある店もそうだった。
もちろん、そのぶん釘はむちゃくちゃシブかったけど。 |
単発廻しという単純な、でも根気が必要な攻略法が使えていた、古きよき時代の連チャン機。
よく朝練のあと大学の授業をサボって四谷のコメットに開店突入していたものだ。
若かったなあ。 |
いまは昔、吉祥寺に“ライフ”というパチンコ屋があったそうな。
まさに人生の縮図という感じの店で、ある若者は大学四年の夏休みに、毎日そこでエキサイト麻雀を打っていたそうな。
とんとん。 |
大学時代のある日、九段下にいく用事があったのに財布に五百円しかなかった。
勝負に出た。
三百円で打ち止めにし、八千円を手にした。
涙が出そうになった。
生まれてはじめて神様に感謝した。 |
麻薬みたいな台だ。
あのころ吉祥寺のニューワールドでは、毎日毎日同じ顔ぶれがビッグウエーブを打っていた。
僕もそのひとりだ。
通算して四十万以上は負けたと思う。
でもやめられなかった。 |